日本画の転換の地・五浦(いづら)

今回は現代に通じる日本画を考えるうえで転換点となった土地、茨城県北茨城市にある五浦海岸をご紹介します。
岡倉天心についてはご存じの方も多いとは思いますが、その岡倉天心と関係のあるのが五浦です。

天心記念五浦美術館のホームページには「五浦海岸の大小の入江と美しい松林は「日本の渚100選」に、海岸の波音は「日本の音風景100選」に選ばれている景勝地です。 またここは明治39年に日本美術院第一部(絵画)が移転し、岡倉天心や五浦の作家たちが活躍しました歴史的な地です。」と記されています。
岡倉天心は東京美術学校(現在の東京芸術大学)の校長を辞職した後、その教え子たち(現在の日本画を語るうえでも重要な画家である横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山ら)がまだ芽が出ない頃からこの地に一緒に移り住み、朦朧体(もうろうたい)という手法の確立などとともに、彼らが数々の名作を生み出していった記念碑的な場所です。

この五浦の地は、水戸から約70キロメートル、東京から約160キロメートルと福島県との県境に位置し、決して交通の便が良いとは言えませんが、太平洋を望む景勝地であり、近くには海水浴のできる海岸も多く、季節に限らず海の幸にも恵まれた観光地です。
もちろん、日本画の歴史を探索するうえでも、天心記念五浦美術館の他、岡倉天心が思索と読書にふけったとされる六角堂や天心邸のある五浦美術文化研究所などを楽しむことができます。

五浦

分野は違いますが似たような歴史として、マンガの世界では昭和30年前後に手塚治虫を代表として藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などが入居した「トキワ荘」(現、東京の豊島区)が有名ですが、東京から離れた土地にも世の中にも広く知られていない、歴史の転換点となる貴重な史跡が多く見つけられることを改めて感じました。

私が訪れたのは海水浴シーズン真っ盛りの真夏でしたが、朝には松林に囲まれた海岸沿いには濃い霧がたちこめる幻想的な雰囲気を味わえる土地でした。皆さまも日本画にご興味ありましたら、五浦を散策することで、現代に繋がる歴史に思いを馳せることができるのではないかと思います。(M)